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“程度”で考えるということ

世の中0か1ばかりでできているわけではない。

0〜100、0以上0以下、様々な上限下限や粒度のグラデーションでできている。

“程度”である

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“程度”の例

身近な例を挙げてみる。

  • 目立つ/目立たない(目立ちすぎる、控えめすぎる)
  • 自信を持つ/持たない(自信過剰、自信不足)
  • やる/やらない(やりすぎ、やらなさすぎ)
  • 食べる/食べない(食べすぎない、食べなさすぎない)

程度”を見失いやすい時

頭に”程度で考える”ということを常設させておくことは意外と難しい。

感情が先に立ったり、調子が良い時/悪い時などは”程度”が飛び、極端になりがち。

結果、「良い/悪い」で争いになったり、調子に乗って悪目立ちして慌ててブレーキを踏む、など。

コミュニティ(家族、学校、会社など)やSNSで見かける”いざこざ”や”やりすぎ…”や”見てるこっちが恥ずかしくなる…”みたいなものの大半はこの”程度”がすっ飛んでいるケースが多い。

冷静に”程度”で考えられれば、例えば「こういう時はAが良いけれど、こういう時はBが良いよね。でも、だったらCが一番イイんじゃない?」といった話もできたかもしれない。そういう、関係者の”納得解”を出すにあたっても重要である。

「中途半端であれ」という話ではない

「やる・やらない」「はい・いいえ」という二者択一な場面もあるし、まずその判断ありきで、というケースも多々ある。

その上で、「では、どの程度まで?」という考え方を持てるといいのでは、という話。

自分”という乗り物の運転

“自分”という乗り物の運転に例えるならば、 重要なのは、アクセルとブレーキの使い方。

状況に応じて:

  • ガツンとアクセルを踏む時
  • エンジンブレーキでゆっくり減速する時
  • 長い時間をかけて徐々に加速する時

「踏むか踏まないか」ではなく、「いつ、どのように踏むか」ということ。

変化に対応しながら健やかに生きるために

自分を含め、全てのものは時間とともに変化する。

変化に対応する際は、この「程度で考える」という能力はきっと役立つ。

そんなことをリメイク版ドラクエIIIをやりながら考えていた。


※冒頭の画像は先月名古屋に行った時に食べた「銀座天龍 名古屋店」のチャーシューチャーハン(単品)と焼き餃子(8個入り、単品)です。”程度”で考えられず、食べすぎました。しかも東京で食べられるものをわざわざ名古屋で。”食べたい”という感情が先に立って、”程度(量)”で考えられなかった例として。

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