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習慣と環境

もうそれなりに生きてるが(42年)、未だに「習慣」について考え、試行錯誤する日々。

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三つ子の魂百まで

環境が習慣を作り、習慣がその人を作る。

自分で環境を変えたり作ったりできる状況の人もいれば、他者に寄るところが大きい人もいる。

家庭環境は親によるところが大きいし、会社は経営者やマネージャーによるところが大きい、など。

こないだ阿部さんがXでこんなポストをしていた。

すぐ手の届くところに本があり、親がしょっちゅう本を読んでいる、という環境。

遺伝なんかより、親の習慣が子に与える影響のほうが圧倒的に強いのではないか

これはまさにで、自分もそう思っている。

「親が毎日のように家で◯◯している」という環境だとイヤでもそれが目に入り、興味を持つ持たない/好き嫌いはさておき、「それがそこにあるのが当たり前」の環境になる。

そして、そのシーンが楽しそうに見えると、結構な割合で子供は親と同じことを始めて、習慣化する可能性がある。

このことについては、子供と親ほどではないが、夫婦や同棲相手、同僚、クラスメイトなど、日々多くの時間や場所を共にする人たちすべてに言える。

「身近な人の習慣」という名の環境が自分に与える影響は大きい。
逆から見れば「自分の習慣」という名の環境が身近な人に与える影響は大きい、ということ。

ふと自分の幼少期を振り返る

親の習慣といって思い出すのは、「だらだらとテレビを見る」ぐらいしかない。(おとん、おかん、すまん)

運動習慣は無かったし、読書習慣も無かったし、学習習慣も無かった。

また、新しいものが出ても飛びつかず、だいぶ普及して「誰でも持ってる」レベルになってから買うタイプ(ラガード)だった。

そのため、パソコンが登場し、Windows 95が流行りに流行った時も当然買わなかったが、パソコンやインターネットに興味があった自分は親に頼み込んでパソコンを買ってもらい、インターネットが使える環境を与えてもらった。
その体験はものすごくエキサイティングなものだったと記憶しており、それがあったから今の自分がある。

ちなみに親は一切(パソコンに)触れず。
興味や関心はあったものの、新しいものを使い始める時に払う「学習コスト」が嫌だったのだろう。
当時から「そのうち、もっとラクに使えるものが出るから」が口癖だった。

現在両親は健在だが、ガラケーで、かつ、電話しかできず、メールもできない。
スマートフォンやタブレットなどは(省略

反面教師と教師

自分は親のそんなところが嫌いだった。
社会に出てからさらに嫌いになった。

運動習慣はあったほうがいいし、読書習慣もあったほうがいいし、学習習慣もあったほうがいいし、革新的な商品やサービスはイチ早く使い、良いところと悪いところを自ら体感したほうがいい、ということが分かったから。
仕事で関わる人に優秀な人が多く、皆、当たり前のようにそれらの習慣があった。

親を反面教師に、優秀な人を教師に、「良い」と思った習慣を取り入れた。
それらが良い未来を切り開いたことは言うまでもない。

親として

現在、自分が親になり「子供たちにとって良い習慣とは」「良い環境とは」をよく考える。

無理はせず、自分(親)の好きなこと、子供の好きなこと、良い習慣、といったバランスを大事にしたい。

最後に、「習慣化」について、けんすうさんが以下のnoteを書いていたので貼っておく。

どれか押してもらえると喜びます僕が
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